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大阪地方裁判所 昭和46年(ワ)3741号 判決

原告

木村捨治

木村マサ

原告

重次ナミエ

原告ら訴訟代理人

井上正治

被告

大阪市

代表者市長

大島靖

被告

植田隆

被告ら訴訟代理人

石井通洋

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

被告らは、連帯して、原告木村捨次に対し金五五〇万円、同木村マサに対し金三〇〇万円、同重次ナミエに対し金一、八五一万円と、これらに対する昭和四六年九月六日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決と仮執行の宣言。

二  被告ら

主文同旨の判決。

第二  当事者の主張

一  原告らの請求原因

(一)  当事者等

(1) 訴外亡重次能師(死亡当時一一歳七か月)は、昭和四五年二月一三日から同年七月二三日までの間(以下月日だけで書いたものは昭和四五年中のことである)、被告大阪市の経営する大阪市立小児保健センター(以下小児保健センターという)で受診した者である。

(2) 原告木村捨治及び同木村マサは、重次能師の実親であり、同重次ナミエは、同木村捨治の先妻の姉で重次能師の養親(五月二一日養子縁組届出)である。

(3) 被告植田隆及び訴外藤野俊夫は外科医師、訴外菅原重道は内科医師、同山田龍作及び同小池宣之は放射線科医師として、いずれも小児保健センターに勤務し、重次能師の治療に関わつた者であり(以上の五名の医師を植田医師らという)、被告大阪市は植田医師らの使用者である。

(二)  本件事故の発生

重次能師は、結果的には単純性肥満児にすぎなかつた。ところが、植田医師らは、重次能師が副腎腫瘍によるクツシング症候群に罹患しているのではないかと疑つた。そのため、被告植田隆は、七月二二日午前一〇時ころから午後四時四五分ころまでの間、藤野医師の介助のもとで重次能師に対する診断的開腹術をして左副腎を摘出した。重次能師は、翌二三日午後一一時五〇分、この左副腎摘出手術によるシヨツク死のため死亡した。〈以下、事実省略〉

理由

第一当事者間に争いがない事実

請求原因(一)、(二)の各事実(ただし手術の時間をのぞく)、山田医師が重次能師に対し二度にわたつてレントゲン撮影をしたところ、左腎に異常陰影が認められ、植田医師らは、これを腫瘍と疑つたこと、小児保健センターでは、七月一六日、本件手術のための症例検討会を開いたこと、以上のことは当事者間に争いがない。

第二重次能師の診療経過等について

一この争いがない事実や〈証拠〉によると、次の事実が認められ〈る〉。

(一)  重次能師は、幼稚園に通うころから肥満傾向にあり、小学校二年生の時、天理よろず病院に入院して諸検査を受けた。その結果に基づき、担当の小児科部長訴外小林裕医師から、重次能師の肥満が単純性肥満にすぎないと診断された。なお、重次能師の実親原告木村捨治も極端な肥満体である。

(二)  重次能師は、二月六日、国立奈良病院小児科で扁桃腺の疾患について診察を受けたところ、担当の訴外島川医師は、扁桃腺は心配ないが、肥満について小児保健センターで受診するよう勧めた。

(三)  そこで、重次能師は、同月一三日、小児保健センターに原告木村捨治及び同木村マサに付き添われて赴いたところ、小児保健センター第二内科の菅原医師が重次能師の診察をした。菅原医師は、当時保健センターで主として小児肥満を研究していた。

重次能師(当時一一歳二か月)の主訴は肥満であり、所見としては、身長一四六センチメートル、体重75.1キログラムの極度の肥満児であり、頸部及び腋窩部の色素沈着、満月様顔貌、上胸部、側胸部及び側腹部の伸展性皮膚線条が認められ、血圧は最高一二六、最低八二であつた。

(四)  菅原医師は、この臨床所見から、クツシング症候群、フレーリツヒ症候群、単純性肥満を考え、心臓、手根骨、頭蓋骨のレントゲン検査、内分泌検査、肝臓の脂質検査及び後腹膜造影によるレントゲン検査の実施を予定した。

菅原医師は、重次能師を担当する以前、クツシング症候群の患者を診察したことがある。

(五)  重次能師に対して心臓、手根骨、頭蓋骨のレントゲン検査が実施された結果では、フレーリツヒ症候群の疑い及び下垂体性のクツシング症候群の疑いはほぼ否定された。しかし、副腎腫瘍または副腎の過形成によるクツシング症候群については、肯定、否定のいずれとも判断できる結果が得られなかつた。

(六)  小児保健センター放射線科の山田医師は、菅原医師の依頼を受けて、同月二三日、後腹膜気体造影、経静脈的腎孟造影及び断層撮影の三方法を併用して重次能師のレントゲン撮影を実施し、検査記録に次のとおり検査結果を記載した。

(1) 左腎は、普通、右腎よりも二分の一椎体、高い位置にあるが、本例ではやや右腎より低いか同じ高さに見られ、左腎上部の領域に塊(マス)の存在が考えられる。断層撮影一一ないし一四センチメートルにかけて明らかに左腎上部領域に塊が認められる。

(2) 通常、副腎の過形式は、両側にみられるものであるが、本例では左だけであるので(偏側性)、腺腫が考えられる。しかし、その形は、球形ではなく、副腎全体を大きくした様な形で、過形成の様な形である。

(3) 結論としては、左腎上部に塊が認められ、左副腎腺腫の疑いがある。

(七)  重次能師は、四月六日、小児保健センターに入院し、以後、内分泌検査、腹部大動脈造影によるレントゲン撮影、眼科(眼底検査)、精神神経科(脳波検査)、循環器科(心電図)等の諸検査を受けた。内分泌検査の結果では、クツシング症候群を肯定するに足りる所見はなく、眼底検査、脳波検査及び心電図には異常所見がなかつた。

菅原医師は、第一回目のレントゲン撮影の結果では左腎に塊が認められたことを重視し、その塊を確認するため山田医師に、腹部大動脈造影によるレントゲンの撮影を依頼した。

山田医師は、五月八日、そのレントゲン撮影を実施し、検査記録に次のとおり検査結果を記載した。

(1) 左腎上部領域に貧弱ではあるが、卵形の左腎上部腫瘤の毛細管相と考えられる陰影が見られる以外に左腎上部副腎動脈が特に太くなつているとか、悪性腫瘍を思わす腫瘍の汚染は見られない。

(2) 結論としては、左腎上部に腫瘤があり、副腎腺腫または褐色細胞腫が疑われる。

(八)  菅原医師は、重次能師に対する内分泌検査など内科的諸検査では単純性肥満を否定し、クツシング症候群を積極的に肯定する所見はないと判断し、また、腹部大動脈造影によるレントゲン検査の結果から悪性腫瘍によるクツシング症候群の疑いを否定したが、臨床所見と自己の専門外である放射線科の検査で左腎上部に塊の陰影が顕われていることかとすると、左副腎腺腫によるクツシング症候群の疑いを全く否定することができないと判断した。そこで、菅原医師は、腫瘍を専門領域とする外科医師の診断を求めることにし、六月初旬、小児保健センター外科長である鯨岡医師にその旨を連絡した。その後、被告植田隆の指示によつて、重次能師の手術の要否について症例検討会が開かれることになり、菅原医師もこのことを了承した。

(九)  当時、小児保健センターでは、外科担当の被告植田隆の提案によつて症例検討会が慣行的に開催されていた。症例検討会では、各科の専門医が集まつて、それぞれの知識及び経験を出し合い、協議によつて患者に対する最も適切な治療方針を決定することを目的としていた。

(一〇)  小児保健センターでは、以前、第一内科の医師らがクツシング症候群の患者を診察したことがあつた。この患者については、菅原医師も出席のうえ症例検討会が開かれて手術が決定され、被告植田隆が執刀者として副腎摘出手術をしたところ、患者の症状は軽快した。

(一一)  重次能師は、六月一二日、外科で外来患者の診察に当つていた藤野医師の診察を受けた。藤野医師は、鯨岡医師から重次能師に対して手術をするかどうかについては症例検討会で検討する予定であることを聞いていたので、重次能師が手術に耐えられるかどうかを中心に診察した。そして、当時、小児保健センターでは入院申込みが多く、入院までに通常二、三か月かかるような状態であつたため、藤野医師は、原告木村捨治及び同木村マサに対し、重次能師の入院申込みをするよう指示した。

(一二)  重次能師に関する症例検討会は、七月一六日、第一内科の大浦医師、藤井医師、第二内科の菅原医師、高洲医師、外科の被告植田隆、藤野医師、大阪市立大学医学部講師の宮田医師らが出席して開催され、被告植田隆が司会を担当した。

菅原医師は、重次能師の主治医としてまず症例検討会の冒頭で、予め作成した資料をもとに家族歴、既応症、現病歴、現症及び検査所見を説明し、内分泌学的には異常はないが、放射線科の検査結果では、左腎は右腎よりもやや低く、左副腎の位置には異常と思われる陰影があるので、レントゲン写真を十分に検討して欲しいと述べた。

そこで、出席者は、菅原医師の説明をもとに互いに意見を交換し、レントゲン写真を見たうえで異常陰影についても検討したが、これが何であるかは判らなかつた。被告植田隆は、レントゲン写真の陰影については放射線科の専門医の意見を直接聞いて結論を出す必要があると強く主張した。しかし、重次能師のレントゲン検査を担当した山田医師は、連絡不行届のため症例検討会には出席していなかつたため、被告植田隆は、症例検討会を中止しようと提案した。しかし、藤野医師が放射線科の小池医師に連絡をとつて出席を求めたため、小池医師が途中から出席した。小池医師は、小児保健センター放射線科の科長であつて、放射線医学では山田医師よりも知識及び経験が豊富であつた。

被告植田隆は、小池医師が出席したので、症例検討会を続行することにした。

小池医師は、山田医師が作成した検査記録に目を通したうえで、重次能師のレントゲン写真を慎重に検討し、何であるかは判らないが、左副腎の位置に異常な陰影を認め、その旨を述べた。

右検討会では、左腎の位置が普通かどうかについても検討された。結局、異常陰影があることは明らかになつたが、それが何であるかは小池医師を含めて出席者の誰にも判断がつかなかつた。なお、山田医師が検査記録に記載した褐色細胞腫は、後記のとおりクツシング症候群とは無関係であつて、菅原医師、小池医師及び被告植田隆は、このことを熟知していた。そのため、症例検討会ではこの点は全く議論の対象にならなかつた。

宮田医師は、席上、二度に亘つて、異常な陰影は脂肪ではないかとの疑問を提起したが、放射線医学の専門家ではないため、この陰影が何であるかを正確に指摘することができなかつた。

そこで、右検討会に出席した者は、この陰影の実体が何であるかを確認するため、診断的開腹術としての手術を実施することに同意し、症例検討会は終了した。

(一三)  重次能師は、同月一七日、小児保健センターに入院し、以後、手術前の諸検査を受けたところ、手術は可能であるとの結果が得られた。

(一四)  重次能師に対する手術は、同月二二日午前一〇時五分、藤野医師の執刀によつて開始された。被告植田隆は、同じ手術室で、他の医師がしている手術の終了次第、重次能師の手術に関与する予定であつた。

(一五)  藤野医師は、術式に従つて重次能師の手術を進めた。しかし、非常に視野が狭く、副腎の位置が確認できない状態であつた。被告植田隆は、他の手術が終了したので、途中から重次能師の手術に加わり、藤野医師に代わつて自ら執刀して手術を進めた。

(一六)  同被告は、大網膜を開き、膵臓の上方で後腹膜を開いた後、後腹膜腔の脂肪組織中から左胃動脈、静脈を探し出して結紮、切断し、左副腎の位置に到達した。ところが、重次能師の左副腎の周囲の脂肪組織は、通常の例よりも硬く、そのため、左副腎にも異常があることが疑われた。この硬さのため副腎と脂肪組織の識別が困難であり、他方、副腎の近くの位置には、腹腔動脈、大空静脈、腎静脈があり、これらを損傷すると生命に危険があつた。そこで、同被告は、副腎静脈を目標として脂肪を少しずつピンセツトで剥離していく方法を採り、副腎静脈を発見したので、副腎からの出血を避けるため、これを結紮し、ほぼ脂肪を剥離したと判断した時点で周囲の脂肪塊が付着したまま左副腎を摘出した。このように、左副腎だけを摘出することができなかつたのは、副腎と周囲の脂肪との区別が極めて困難であつたからである。

(一七)  左副腎を摘出した後、後腹膜及び腹壁を縫合して閉じ、同日午後三時五〇分ころ、手術を終了した。

病理検査のため待機していた宮田医師は、摘出された左副腎について直ちにルーペ検査をしたところ、クツシング症候群の所見を示す異常はなかつた。その後、宮田医師は、病理組識学的検査をしたところ、同様の結論が得られ、また、摘出した左副腎は、一部であることが判明した。

第三医学的知見について

〈証拠〉によると、次のことが認められ、〈る。〉

一クツシング症候群の本態は、副腎皮質ホルモンの過剰分泌で、その原因としては、(一)下垂体前葉の機能亢進からACTHの影響により二次的に副腎皮質の肥大を起こすこと(副腎皮質の過形成)、(二)副腎皮質の腺腫または癌、がある。以前は、下垂体原発のものをクツシング病、副腎皮質原発のものをクツシグン症候群として区別していたが、両者は臨床的に異なるところがないので、現在では両者をあわせてクツシング症候群といつている。

二クツシング症候群は、小児には稀な疾患であるが、未治療の場合、患者は五年以内に死亡する。最も確実な治療方法は、副腎の全摘である。

三症状としては、高血圧、満月様顔貌、皮膚線条、色素沈着、水牛型体格、多毛症、骨多孔症、過血糖などがみられる。ただし、高血圧、満月様顔貌、皮膚線条は、単純性肥満児にもみられる。

四クツシング症候群の診断に当つては、尿中一七OHCS値の検査や尿中一七OHCSを指標としたデキサメサゾン抑制試験などの内分泌学的検査が重要である。

五後腹膜気体造影によるレントゲン検査に基づくクツシング症候群の診断は、一般に誤診率が高い。しかし、これは、クツシング症候群のうち副腎組織が余り大きくなつていないためレントゲン写真に異常が顕われない場合のことであつて、げんに異常陰影が写つた場合は別である。

六後腹膜気体造影及び断層撮影を併用して副腎のレントゲン検査をした場合、副腎の正常な周囲脂肪は、レントゲン線が透過してしまい普通は写らない。

七単純性肥満の小児の身長の伸び率は、年令相当の平均値を上回るのが大半で、特にこの傾向は学童期に顕著である。他方、クツシング症候群の小児では、例外なく身長の発育の速度が鈍り、最終的には停止する。しかし、発病時期から一、二年くらいの間であれば、身長の発育は顕著に停滞しないから、必ずしも身長の伸び率によつてクツシング症候群を肯定もしくは否定できるわけではない。

八副腎は、その周囲の脂肪組織よりも通常硬く、この硬さの違いによつて触診したとき両者を識別する。

九褐色細胞腫は、副腎髄質の疾患であつて、副腎皮質の疾患であるクツシング症候群とは関係がない。

一〇診断的開腹術とは、他のいかなる医学的手段をもつてしても最終的な診断ができない場合に、病変部に対する肉眼的検査、ルーペ検査または病理検査をして最終的診断を決めるために行なわれる手術である。そして、検査の結果、異常があつた場合、病変部の摘出範囲を決定したり、以後の手術をどのように進めるかをさらに検討する。

第四そこで、以上認定の事実をもとに、植田医師らの責任について判断する。

一菅原医師について

(一)  原告らは、重次能師に対する臨床所見及び内分泌検査など内科的諸検査では、クツシング症候群を肯定する結果は出ていなかつたし、当時、重次能師の身長の伸び率は、クツシング症候群の小児には見られない大きな値であつたのに、菅原医師はこれを十分検討せず、クツシング症候群を疑つた点で過失があると主張している。

(二) なるほど、重次能師に対する内分泌検査など内科的諸検査の結果では、単純性肥満を否定し、クツシング症候群を積極的に肯定できる所見はなかつた。しかし、レントゲン写真には、げんに左副腎の位置に副腎腫瘍を疑わせる塊の異常陰影が顕われていたのであるから、菅原医師が副腎腫瘍によるクツシング症候群の疑いを全く否定できないと判断したことは、小児内科医としてやむをえなかつたといわなければならない。

(三)  証人日比逸郎は、その証言中で、(1)重次能師の実親原告木村捨治は極端な肥満者であること、(2)重次能師の当時の身長の伸び率は平均値を上回つており、これは単純性肥満児の特徴であること、(3)満月様顔貌及び皮膚線条は単純性肥満児にも認められること、(4)重次能師の色素沈着は単純性肥満児に多くみられる部位にあること、(5)血圧の測定成績の大部分が正常値であること、(6)内分泌検査の測定値は一回を除きすべて正常であること、(7)後腹膜気体造影によるレントゲン検査は誤診率が高く、重次能師のレントゲン写真に顕われた塊の陰影も異常なものとは断言できないことなどを挙げて、重次能師がクツシング症候群に罹患していると疑う余地はない旨供述している。

しかし、同証人の証言によると、日比逸郎は小児内科医であつて、放射線医学の専門医ではないことが認められ、この認定に反する証拠はない。このように放射線医学の専門医でない者が、自己の専門とする領域の資料すなわち臨床所見や内科的諸検査の結果を根拠にして、専門外のレントゲン検査を誤診であるなどとして軽々しく否定することはできない筈である。

とりわけ、日比証人は、重次能師が死亡後病理組織検査上クツシング症候群に罹患していないことが明確になつた段階で、カルテの記載や検査結果に基づいて供述しているのであつて、手術前に直接重次能師を診断し、そのレントゲン写真の塊が何であるのかを解明したものではないことに留意しなければならない。

他方菅原医師は、自己の専門領域である小児内科的諸検査の結果からは重次能師がクツシング症候群に罹患しているとは断定できなかつたが、自己の専門外である放射線科の検査結果からみてクツシング症候群を全く否定することができないと判断し、レントゲン写真に顕われた異常陰影の検討を症例検討会に委ねたのである。したがつて、このような菅原医師の措置に何ら責められるべき点はない。

また、身長の伸び率は、重次能師のクツシング症候群の発病時期を八、九歳の時とみた場合には、必ずしもその伸び率が停滞するわけではないから、重次能師の身長の伸び率だけでクツシング症候群を全く否定することはできないといわなければならない。

とりわけ、〈証拠〉によると、重次能師は、八歳から一〇歳にかけて、体重が異常に増加していることが認められるのである。

そうすると、同証人の前記証言は、前記(二)の判断の妨げになるものではない。

二山田医師について

(一)  原告らは、山田医師は重次能師に対する大動脈造影によるレントゲン検査の結果では何ら腫瘍を認めなかつたのに、検査記録に副腎腺腫の疑いとか褐色細胞腫の疑いなどと記載した点で過失があり、これが重次能師に対する手術を決定する原因になつたと主張している。

(二)  しかし、菅原医師、小池医師及び被告植田隆は、褐色細胞腫が副腎髄質の疾患であつて、クツシング症候群とは無関係であることを熟知しており、症例検討会でもこの点は議論されなかつた。また、レントゲン写真には、げんに異常陰影が顕われており、放射線医学では山田医師よりも知識及び経験が豊富な小池医師が症例検討会に途中から出席し、レントゲン写真を慎重に検討したうえで、このことを確認した。その結果、この塊が何であるかを確かめるために診断的開腹術を実施することで出席者の意見が一致したのである。

そうすると、山田医師が検査記録に原告ら主張のような記載をしたことだけによつて、重次能師に対する手術が決定されたものとはいえないから、原告らの主張は失当である。

三被告植田隆について

(一)(1)  原告らは、同被告は、重次能師に対する手術の執刀者として、また、症例検討会の事実上の主宰者としてその席上でレントゲン写真にみられる異常陰影らしきものが何であるかについて十分討議を尽くす注意義務があるのに、レントゲン検査を担当した山田医師の出席を求めることもなく、レントゲン写真に写つた左腎臓の位置が正常かどうかを検討することもなく、討議不十分のまま安易に手術の実施を決定した点で過失があると主張している。

(2)  しかし、症例検討会には、放射線医学では山田医師よりも知識及び経験が豊富な小池医師が出席し、レントゲン写真を慎重に検討して左副腎の位置に異常陰影があることを確認したのであるから、同被告が山田医師の出席を求めて説明を求めなかつたことに落度はなかつたといわなければならない。

また、病例検討会では、異常陰影が何であるかの討議はされたが、判断がつかず、放射線医学の専門家である小池医師でさえ、この点は正確に判断することができなかつたのである。

そうすると、原告ら主張のように同被告が討議不十分のまま安易に手術の実施を決定したとは到底いうことができない。

なお、原告らは、左腎の位置が普通より低かつたことを問題にしているが、植田医師らは、レントゲン撮影の結果によつてそのことは知悉しており、症例検討会で、そのことも加味して診断的開腹術に適すると判断したのであるから、左腎の位置と同被告の過失とは無関係である。

(二)(1)  原告らは、同被告は仮に開腹手術をして、この陰影が単なる脂肪塊にすぎないことが判明した場合、どのような処置を採るかを十分討議すべきであるのに、これを怠つた点で過失があると主張している。

(2)  しかし、同被告が、重次能師に対する開腹手術をしたところ、左副腎の周囲の脂肪は通常の例よりも硬かつたため、左副腎に異常があることが疑われたのである。原告らの主張は、このことを考慮せず、単なる脂肪塊すなわち何ら異常のない脂肪塊であることを前提とするものであるから採用できない。

(三)(1)  原告らは、同被告は重次能師に対する開腹手術をしたところ、レントゲン写真に写つた陰影が腫瘍ではなく、脂肪塊であることを確認したのであるから、直ちに以後の手術を中止すべきであるのに、左副腎の病理検査が必要であると誤つた判断をして左副腎全部を摘出した点で過失があると主張している。

(2)  しかし、重次能師の左副腎の周囲の脂肪は、通常の例に比較すると、異常に硬かつたのである。そこで同被告は、左副腎にも異常があると疑い左副腎の一部を周囲の脂肪の塊とともに切除したのである。そうして、同被告のこの診断的開腹術の進め方には、格別非難されるべき点は見当らない。すなわち、

同被告は、診断的開腹術として重次能師の開腹手術をしたところ、左副腎の周囲の脂肪が通常のものより硬いものであることが判明したのであるから、外科医として、その段階で組織だけを取つて手術をやめるか、それとも、治療のため左副腎をその硬い脂肪とともに摘出するかは、同被告の裁量にまかされているとしなければならない。もし、そうでなければ、再度の開腹手術が必要になる場合が生じるわけであり、根治を望む患者の意思に合致しないといえる。したがつて、診断的開腹術をする場合には、診断をするための最小限度にとどめ、治療としての手技は一切用いてはならないとすることは、余りにも杓子定規にすぎ不合理であるといえる。

同被告が、右裁量の範囲を逸脱したことが認められる証拠がないばかりか、同被告が左腎の一部を硬い脂肪の塊とともに摘出したことは、診断的開腹術を行う医師に許容された裁量の範囲内のものとしなければならない。

そうすると、原告らのこの主張は採用できない。

四小池医師について

(一)  原告らは、小池医師は重次能師のレントゲン検査を担当していなかつたのに、山田医師が作成した検査記録を中心に安易な判断を示した点で過失があると主張している。

(二)  しかし、小池医師は、放射線医学では、山田医師よりも知識及び経験が豊富であつたのであるから、直接レントゲン検査を担当しなかつたからといつて、レントゲン写真の読影をして自分の判断を示すことが許されないとする理由はない。そのうえ、小池医師は、症例検討会が山田医師が作成した検査記録に目を通したけれども、それにとどまらず、げんにレントゲン写真を慎重に検討した結果、左副腎の位置に何か異常な物の陰影を認め、その旨を述べたのである。したがつて、小池医師は、山田医師がした診断を鵜呑みにして安易な判断を示したわけではないから、小池医師には、原告らが指摘するような落度はなかつたとしなければならない。

五植田医師らについて

(一)  原告らは、植田医師らはクツシング症候群を特に専門としているものではなかつたから、小児内科医のうちこれを専門に研究する者の所見を徴するなど重次能師に対する手術の決定について万全を尽くす注意義務があるのに、これを怠つた点で過失があると主張している。

(二)  しかし、菅原医師は、当時主として小児肥満を研究していたのであつて、重次能師を担当する以前、クツシング症候群の患者を診察したことがある。また、小児保健センターでは、以前、クツシング症候群の患者を診察し、手術によつて症状を軽快させたことがある。

このことからすると、原告らが主張するように、植田医師らに小児内科医のうちクツシング症候群を専門に研究する者の所見を徴する義務があるとは到底いうことができない。そして、前記第二に認定した事実からすると、植田医師らが重次能師に対する手術を決定したことについて何ら落度はなかつたとしなければならないのである。

六まとめ

以上の次第で、植田医師らには、重次能師に対する診断的開腹術を施行することを決定するについて、原告らが主張する過失がなかつたことに帰着する。

そうすると、被告植田隆はもとより、植田医師らの使用者である被告大阪市は、なんら民法不法行為上の損害賠償義務を負わないとしなければならない。〈以下、省略〉

(古崎慶長 井関正裕 小佐田潔)

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